サラブレッドの人工授精についての雑感

ストームキャットの種牡馬生活終わらず


 1983年生まれのストームキャットは、今年26歳。12頭のチャンピオンホースを含む30頭以上のG1馬を輩出してきたスーパーサイヤーにも、年齢の波は押し寄せ、25歳となった昨年春は32頭の牝馬に種付けした段階でわずか3頭しか受胎していないことが判明。21シーズンにわたった種牡馬生活にピリオドを打った………。はずだったのだ?!。


 授精能力が衰えたはずの高齢馬が種牡馬として復帰出来るのには、当然のことながらカラクリがある。アメリカのクオーターホース生産業界は、人工授精を認めているのである。


「クオーターホース生産業界は人工授精を認めている」らしいけど、じゃあサラブレッド生産業界はそこらへんどうなの? という疑問を元に、調べたり考えてみたことのメモ書き。



そもそも、人工授精とは何か

 簡単にいえば、読んで字のごとく、人工的に受精させて子供を作り出すこと。具体的な方法としては、雄から精子を採取してそれを注射器状のもので雌の子宮に挿入する、雌の卵子を取り出してそれに雄から採取した精子を挿入して再び雌の体内に戻す、などがある(2/20訂正。体外受精は人工授精とは別扱いだそう。体外受精⊂人工授精じゃなかった)らしい。牛や豚では普通にこれで子作りが行われていて、家畜人工授精師なんて国家資格もあったり。


(参考)馬の人工授精の動画



サラブレッドの人工授精

サラブレッドの人工授精は認められているのか」の答えはノー。サラブレッドの血統登録についての国際的な基準を定めている国際血統書委員会(International Stud Book Committee)が、人工授精を禁じている理由は以下の通り。

軽種馬の登録の歩み


人工授精について、人工授精の禁止を解除するか否かについては、国際血統書委員会でもたびたび議題になっており、血液型による親子鑑定、あるいは最近ではDNAの利用も徐々に用いられる方向に進んでおり、故意または錯誤による親子関係の取り違いの防止という意味はなくなってきている。
 しかしながら、現在の血統書委員会の見解としては、特定の種雄馬の産駒が集中的に増え、ただでさえ狭いサラブレッド産業がますます特定の血統に集中する恐れがあり、それによって近親交配の弊害、体質の虚弱あるいは、疾病、故障などの多発が危惧され、いったんこのようなことが生じると、サラブレッドという品種の存続に重大な危機が生じるという見解が多数を占め、もし解除するのであれば、国際的な合意がなければ踏み切れないというのが依然として委員会の公式認識である。


 以前は「親子関係を取り違える可能性があるから」という理由があったそうだけど、DNA鑑定などができるようになった昨今はその心配はなくなってきて、禁止の主な理由は「血統が偏る恐れがあり、サラブレッドという種の維持に関わる問題になるから」らしい。とにかく、人工授精で馬を作ってもそれはサラブレッドと認められない。よって、人工授精によるサラブレッドの生産もされていない。


 ただし、今後サラブレッドの人工授精が認められる可能性はゼロに近いのかというとそうでもなさそうで、「人工授精の禁止を解除するか否かについては、国際血統書委員会でもたびたび議題になっており」を見る限り、委員会内で人工授精のメリットを認める声もあるよう。血統の偏りという問題を解決できるのならば、人工授精解禁もあるのかも。



サラブレッドの人工授精のメリットは

 牛や豚の例なんかをいろいろと見ながらつらつら考えてみると、人工授精を解禁した時のメリットは、

  • 種付け時に、わざわざ繁殖牝馬種牡馬のいる種馬場にまで連れて行かずとも、精子だけを運んできて授精させれば子供が作れる
    • 輸送費・滞在費が節約できる
    • 種付けの順番待ちをせずとも、繁殖牝馬の発情に合わせて、タイミングよく種付けを行うことができる
    • どこに牧場があっても好きな種牡馬の種を付けることができるようになり、繁殖牧場を開く場所の選択肢がかなり広がる
  • 1度の射精で何十頭にも種付けできるようになり、種牡馬の負担を減らせる
    • 種付け頭数を増やすことができ、「成功種牡馬」を引いた時の儲けが増える


あたりだろうか。もし解禁されれば特に繁殖牧場にプラスになりそうで、苦戦が伝えられている日高の中小牧場や、種付けが大変な本州や九州あたりの牧場には、大きな助けとなるか。


 ちなみに、ばん馬の人工授精の普及活動をしている元帯畜大助教授の宮沢さんによると、「人工授精だと繁殖のコストは百分の一に抑えられる」とのこと("繁殖"がどこまでを指すのかは分からないけど)。宮沢さんは、馬の人工授精は受胎率が悪いという問題についても「受胎率70%を実現」したそうで、ばん馬では今後人工授精が主流になっていくのかな、とか思ったり。



人工授精を解禁しつつ血統の偏りを防ぐための私案

  • 採取した精子は一定期間で廃棄
  • 精子を特定の地域外へ持ち出すことを禁止(種牡馬繁殖牝馬そのものの移動は可)
  • 種付け頭数の上限を設定


ではどうだろう。精子バンクは作らない。世界中が均一な血統となってしまわないように、国外など特定の地域外への精子持ち出しは禁じる。さらに、その地域内でも1頭の種牡馬に血統が集中しないよう、種付け頭数には上限を設ける。これなら、血統がそう片寄ることもなく、人工授精のメリットは得られるんじゃないかと思うんだけど。ダメ?



サラブレッドの精子バンク

 上で書いたように「血統の偏りを防ぐには精子バンクは作らない方がいいんじゃないか」とは思うものの、精子バンクもあればあったでいろいろとおもしろそう。例えば、何十年も前に死んだ名馬の子供を作れたり、怪我などで種牡馬になれずに命を落とすサラブレッドの精子を採取して種付けに使えたり、将来世界中の血統が片寄るようなことがあった場合に備えて非主流血統の馬の精子を残しておいたり、有益に使える部分も多いんじゃないだろうか。


 まあ、ここまで踏み込んでしまうと、倫理的な問題であったり、種牡馬ビジネスの問題であったり(過去の名馬の精子のせいで生存中の種牡馬に回ってくる繁殖牝馬が減るとか)が出てくるので、さすがに実現する可能性はかなり低いか。



JRAは、馬の「凍結精液による人工授精の推進」事業に助成金を出していた

 といっても、サラブレッドではなく農用馬などの人工授精に対して、だけど。

JRA畜産振興事業 自己評価表


事業名:家畜等繁殖・生産技術向上対策事業(馬繁殖性改善緊急対策事業)
事業実施主体:(社)日本馬事協会
事業費:13百万円
実施期間:17〜19年度


事業概要:
 わが国の農用馬等は自然交配を基本とした繁殖を行ってきたものの、飼養者の高齢化等に伴い技術の伝承が充分に行えない状況となっており、少数の優良種雄馬による改良を行うため、モデル地区(3地区)における凍結精液を用いた人工授精の実施、海外の優良種雄馬の精液の導入及び国内の優良種雄馬の精液の製造・保管を目的とする事業である。


事業成果等:
 輸入凍結精液の保管は、輸出国と衛生条件の締結ができず未実施に終わったものの、国内の凍結精液の製造・保管は目標頭数を上回って実施するとともに、モデル地区における人工授精実施体制の整備を行い、凍結精液による人工授精の普及に努めた。
 今後は、本事業の普及が図られ、今後の馬人工授精の推進に寄与することが期待できる。


外部有識者等によるコメント:
 モデル地区に対する馬人工授精の実施体制が整備されたとともに、凍結精液による人工受精及び凍結製造・保管の目標値を上回る成果をあげたほか、新たに馬人工受精所を開設する計画が進められるなど、今後の馬人工受精の推進に向けて高く評価される。
 なお、凍結精液の輸入ができなかったことは、事業実施主体では対応できない外部要因によるものであり、止むを得ないものと考える。


 農用馬などの人工授精のノウハウはサラブレッドにも応用が利くだろうし、そこらへんの技術向上はサラブレットの人工授精解禁を後押ししてくれることになるかも。


人工授精解禁を主張した昔の人

わたしの競馬研究ノートの6 佐藤正人


(5)人工授精はなぜいけないか


河野一郎氏が軽種馬協会の会長のときに、日本のような貧乏国が、高価な外国産のサラブレッド種牡馬をたくさん輸入するよりも、小数の優秀な種牡馬を効率よく、人工授精によって利用した方がよいといって、競馬会に対し、今後人工授精を認める用意があるか、という照会ををよこしたのは、それから程なくしてからである。


 わたしは当時競馬会にいて、その方の担当であったが、なにしろ時の政界の実力者であった河野一郎氏のことだから、下手な回答はできないということで、わたしはじめの競馬会の首脳部は、頭をなやました。
 結局、人工授精がいけないというのは、血統の公正さが維持できないだろうということから来ているのだから、このことが確認できるような、なんらかの方法が講じられるならば、人工授精を認める用意がある、といったような回答をしたように記憶している。


 ところで、サラブレット・レコード誌(一九七三年一月六日号)のポスト・タイムという欄にポーラ・アモルズという人が、河野さんと同じようなことをいって、人工授精をやるべきだといっている。
 この人は、最近死んだリボーやボールドルーラーの精液を冷凍しておけば、これらの馬が死んでからも、これらの貴重な血液が利用できるし、また人工授精によって、繁殖牝馬の輸送の費用や滞在費が節約できる、といっている。
 また血統の公正ということについては、乳牛ではなが年人工授精をやって、なにも問題がないことを考えてもらいたい、そしてサラブレッド生産者が、真にサラブレッドを改良しようと思えば、人工授精を利用せよといっている。


 ポーラ・アモルズさんの主張がどう受け止められたのかが知りたい。